どっちかと言えば、「犬派」の山盛です。
たまたま去年(2012年9月上旬)さつきやりみと出会ったのをきっかけに
猫好きの猫動画上げてる人みたいになってますが。(本業は料理カテです。)
犬に目覚めたのは(性の目覚めみたいな書き方だな…。)ショウガキセイの頃。
野良犬を貰ってきたご近所さんがいて、その犬と仲良くなったのがきっかけです。
最初に会ったころは玄関の隅っこでブルブルと小刻みに震えて誰とも目を
会わさなかったのが印象的でした。
気がつけば自然と仲良くなり、学校から帰ってくると尻尾を振ってあいさつして
くれるようになりました。
夕飯のおかずに出た秋刀魚の頭なんか凄く喜ぶのであげてました。
私が社会人になった頃には耳も聞こえなくなり、一日中寝て過ごす様になり
ある日、犬子用のベットの上で丸くなったまま息を引き取ったのでした。
悲しいと言えば悲しかったのですが、老犬になれば無くなるものと思っていたので
さほど落ち込みもしませんでした。
富士丸は落ち込んでいる時に偶然インターネッツで知りました。
仕事をサボってはせっせとブログを読んだりしたものです。
「この人、一人暮らしな上に大型犬と暮らすなんて凄いな…。」
そんなある日、富士丸のブログが更新されなくなったのでした。
「あれ、身内に不幸でも?ああ、あの面白いお父さん?」
会った事もないブロガーの穴澤さんの心配をしたりしていた数日後。
富士丸の突然死。思わぬ事態。もう、言葉に出来ない気持ち。
命の幕引きなんてあっけない。あっという間。
さつきは本能のまま性行為を受け入れ、出産し、子育てに奮闘しています。
時間になれば授乳しに行き、娘や息子のお世話を誰に習ったわけでもなく
当たり前のように行い、私の顔を見れば「ごはん出して。」とせがみます。
今、従業猫たちの出会いと一連の流れについて改めて命にまつわる事を何度も
思い巡らしても、生きるとか、生き延びることの価値って何なんだろうと。
正解はある・ないにしても自分なりに納得する答えはまだ出ません。
信念を持って頑張って真面目に生きてないからなのかもしれません。
さつきの様な生き方が少し羨ましいです。
今日はもう、中二病です。アデュー!